研究内容

はじめに

 不安、恐怖、衝動性、喜び、気分の落ち込みなどの情動はヒトを含む生物を語る上で欠かせない精神機能です。これらの精神機能があるからこそ私たちは生存することができ、またこれらの精神機能があるが故に苦しむ、とも言えるでしょう。これらの精神機能は無数のニューロン(神経細胞)によって構成される脳という臓器によって支えられていると考えられており、脳機能の異常と精神疾患には密接な関係があります。
 これらの精神機能は脳内において、(ニューロンから遊離された)神経伝達物質→受容体→ニューロンの活動変化→神経回路機能の情報伝達によって制御されます。当分野では、不安、恐怖、衝動性、喜び、気分の落ち込みといった情動に注目し、その脳内メカニズムを物質レベルで解明しようとしています。これらの情動機能に関与すると考えられる神経伝達物質は数多くありますが、当分野では特にセロトニンを含むモノアミン神経伝達物質に着目し、分子生物学、免疫化学、免疫組織学、神経化学、電気生理学、行動薬理学、光遺伝学などの多岐に渡る手法を駆使して研究に取り組んでいます。
 さらに、上記の研究によって得られた知識を基に、精神疾患の動物モデルを作製し、新しい精神疾患治療薬の探索および既存薬の作用機序解明に取り組んでいます。
 私たちの研究は、ヒトという生き物への理解を深め、精神疾患の治療法発展に寄与することを目標とするものです。

研究内容

1. 衝動性の神経基盤と治療薬探索

 極めて簡単に言うなら、衝動性とは「理性よりも欲望に従う傾向」と言えるでしょう。この傾向が強いと、薬物依存、犯罪、自殺のリスクが高まると言われています。高い衝動性が統合失調症、躁うつ病、注意欠陥・多動性障害などの精神疾患の一症状として表出することもあれば、治療薬の副作用として生じることもあります。このように、衝動性を支える神経基盤の解明は、副作用の少ない精神疾患の治療薬開発のための重要なテーマです。
 私たちはこれまでに内側前頭前野腹側部が衝動性制御に重要な脳部位であることを見出してきました。また、抗うつ薬の1つであるミルナシプランが衝動性を抑制することを動物実験によって見出し、その作用機序を明らかにしてきました。これらの知見を基に、現在は内側前頭前野腹側部の機能を障害した動物を衝動性亢進モデルとして用い、治療薬開発を目指しています。

このテーマに関する当研究室からの代表的論文

Tsutsui-Kimura I, Ohmura Y, Izumi T, Yamaguchi T, Yoshida T, Yoshioka M.

The effects of serotonin and/or noradrenaline reuptake inhibitors on impulsive-like action assessed by the three-choice serial reaction time task: a simple and valid model of impulsive action using rats.
Behav Pharmacol. 2009 Sep;20(5-6):474-83.

げっ歯類を用いた衝動的行動(自己制御能力の欠如)を評価する方法として、3-選択反応時間課題を開発しました。さらに、抗うつ薬の一つであるミルナシプラン(セロトニン-ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)が衝動的行動を抑制することを明らかにしました。

Tsutsui-Kimura I, Ohmura Y, Izumi T, Kumamoto H, Yamaguchi T, Yoshida T, Yoshioka M.

Milnacipran enhances the control of impulsive action by activating D(1)-like receptors in the infralimbic cortex. 
Psychopharmacology (Berl). 2013 Jan;225(2):495-504.

ミルナシプランの衝動性抑制作用が内側前頭前野腹側部のドパミンD1様受容体の刺激によるものであることを明らかにしました。

Tsutsui-Kimura I, Ohmura Y, Izumi T, Yamaguchi T, Yoshida T, Yoshioka M.

Nicotine provokes impulsive-like action by stimulating alpha4beta2 nicotinic acetylcholine receptors in the infralimbic, but not in the prelimbic cortex.
Psychopharmacology (Berl). 2010 May;209(4):351-9.

タバコの主成分の1つであるニコチンの衝動性亢進作用が内側前頭前野腹側部のα4β2ニコチン性アセチルコリン受容体の刺激によるものであることを明らかにしました。

2. 不安、恐怖の神経基盤と治療薬探索

 不安や恐怖は危険から身を守るための機能であり、本来は生存に必須の情動機能です。しかし、生命を脅かすような強いストレス(戦争、大地震、津波など)にさらされた場合にはこの機能が過剰に亢進してしまい、不安障害を発症してしまうことがしばしば生じます。不安や恐怖を強く感じながら生活していくことは非常に大きな精神的苦痛を伴います。このように、不安・恐怖を支える神経基盤の解明と科学的知見に基づいた治療法の開発はQuality of Life(生活の質)を向上させるために必須のものです。
  私たちはこれまでにセロトニン神経の起始核から海馬や扁桃体への神経連絡が不安や恐怖に重要であることを見出してきました。現在はさらに神経回路の詳細を明らかにすると同時に、恐怖を抑える神経回路の解明にも取り組んでいます。

 

このテーマに関する当研究室からの代表的論文

Ohmura Y, Izumi T, Yamaguchi T, Tsutsui-Kimura I, Yoshida T, Yoshioka M.
The serotonergic projection from the median raphe nucleus to the ventral hippocampus is involved in the retrieval of fear memory through the corticotropin-releasing factor type 2 receptor.
Neuropsychopharmacology. 2010 May;35(6):1271-8.

ラットが恐怖記憶を想起する際には、正中縫線核のコルチコトロピン遊離因子タイプ2 (CRF2) 受容体が活性化され、海馬の腹側部におけるセロトニン遊離量が増加することを神経化学的手法・行動薬理学的手法を組み合わせて明らかにしました。

Shikanai H, Yoshida T, Konno K, Yamasaki M, Izumi T, Ohmura Y, Watanabe M, Yoshioka M.
Distinct neurochemical and functional properties of GAD67-containing 5-HT neurons in the rat dorsal raphe nucleus.
J Neurosci. 2012 Oct 10;32(41):14415-26

背側縫線核に発現するセロトニン(5-HT)とGABA合成酵素(GAD67)の両方を含有している神経細胞(5-HT/GAD67 ニューロン)は、離乳期に一過性に出現することが明らかになりました。5-HT/GAD67 ニューロンは、5-HTのみを含有するニューロン(5-HTニューロン)よりも活動電位を生じる頻度が低いこと、合成したGABA を一般的なシナプス伝達には利用せず、GABA トランスポーター1(GAT1)によってGABA 遊離や取り込みを調節することで、ニューロンの過剰興奮やそれに伴う障害を抑制している可能性が示唆されました。さらに、5-HT ニューロンは身体に危害が及ぶ危険や恐怖に対する重度のストレスに反応しやすいのに対し、5-HT/GAD67 ニューロンは、新奇環境から受ける軽度の不安ストレスに反応しやすいことを明らかにしました。

Yoshida T, Uchigashima M, Yamasaki M, Katona I, Yamazaki M, Sakimura K, Kano M, Yoshioka M, Watanabe M.
Unique inhibitory synapse with particularly rich endocannabinoid signaling machinery on pyramidal neurons in basal amygdaloid nucleus.
Proc Natl Acad Sci U S A. 2011 Feb 15;108 (7) 3059-3064

恐怖記憶の消去に関与する扁桃体シナプスを発見しました。このシナプスは陥入構造を持つユニークなシナプス(陥入型シナプス)であり、ここには脳内マリファナの合成酵素や受容体などの情報分子が高度に集積し、抑制性シナプス伝達にブレーキがかかり易いことが判明しました。

3. うつ状態の神経基盤と治療薬探索

 近年のうつ病患者・自殺者数の増加は深刻な社会問題となっています。さらに、うつ病患者の約2割は従来の抗うつ薬が効かない難治性であると言われています。うつ病の蔓延は人々のQuality of Life(生活の質)を著しく低下させるだけでなく、多大な社会経済的損失を生じさせます。気分の落ち込みや喜び、やる気の喪失などに代表されるうつ症状の神経基盤を解明し、科学的知見に基づいた治療法を開発することは、現代社会において喫緊の課題であると言えます。
  この研究は文部科学省から大型の研究費(脳科学研究戦略推進プログラム)を受けて、最近スタートしたものです。私たちはこれまでに示唆されてきたセロトニン神経系とうつ症状の関係だけではなく、報酬への応答を司ると考えられているドパミン神経系を中心とした神経回路に注目し、ドパミン神経系からみたうつ病のモデル動物作製、うつ症状の神経基盤解明、治療薬の探索を行っています。


当研究室では、情動ストレスによる行動変容メカニズムの解明に向けて、様々な研究手法を組み合わせ、多角的なアプローチを行っています。

神経解剖学的解析

免疫組織化学的染色法:
特異的抗体を用いて機能分子の脳内分布を解析します。

神経解剖学的解析

神経化学的解析

脳内微小灌流法:
脳内に埋め込んだ透析膜プローブより回収した各種の神経伝達物質(モノアミンやアミノ酸など)を、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)によって分離し、定量解析します。

神経化学的解析

分子生物学的解析

逆転写-PCR法:
単一神経細胞または脳組織標本のmRNA発現を解析します。

分子生物学的解析

電気生理学的解析

in vitro
スライスパッチクランプ法:

単一神経細胞の活動電位やシナプス後電流を測定することによって、神経活動や神経回路を調節する受容体および神経伝達物質を解析します。

電気生理学的解析
in vivo
集合誘発電位記録:

海馬内側前頭前野などの脳部位間における神経伝達調節や伝達効率の変化(シナプス可塑性)を解析します。

電気生理学的解析
単一神経細胞活動電位記録:
行動解析と同時に活動電位のパターンを解析することによって、その行動と相関する単一神経細胞を同定します。
電気生理学的解析

光遺伝学的解析(オプトジェネティクス)
光受容体であるチャネルロドプシン2を特定の神経細胞(私たちはセロトニン神経細胞)に選択的に発現させることで、特定種類、特定部位の神経活動を操作可能にし、行動との因果関係を同定します。名古屋大学(山中章弘 教授)、慶応大学(田中謙二 准教授)との共同研究として実施しています。

行動薬理学的解析

オープンフィールド試験:
自発運動量の測定ならびに生得的な恐怖に対する不安水準を評価します。

行動薬理学的解析
高架式十字迷路試験:
生得的な恐怖に対する不安水準を評価します。
行動薬理学的解析
文脈的恐怖条件付け試験:
恐怖記憶に基づく不安を評価します。
行動薬理学的解析
社会的行動試験:
2匹の動物が示す社会的行動から、社会性不安を評価します。
行動薬理学的解析
3-選択反応時間課題:
衝動性や注意機能を評価します。
行動薬理学的解析